「父の胃潰瘍」について言葉にしてみる
先日誕生日だった父にお祝いの電話をしてみた。
離れて暮らす父と会話するのは年に1〜2度の帰省の時と、月1〜2回、健康状態を確認するためにする電話でたまたま父が出れば、程度だ。
70になった父に祝辞を述べた後、健康状態を確認すると、数種類の薬を飲んでいる程度でいたって元気だという。…数種類の薬…元気じゃないんじゃないか?そう思って何の薬を飲んでいるか詳しく掘り下げてみたところ、血圧の薬と胃潰瘍の薬という。
もともと血圧が高いのは知っている。血圧の薬は良しとして、胃潰瘍の薬は気になる。胃潰瘍から大病に至るケースもよく聞く。そもそも仕事もやめて悠々自適なはずなのに胃が痛いって何だ?
何にそんなにストレスがあるのかと問うと、医者にもそう聞かれたが、仕事はしていないと伝えると医者はそれ以上は踏み込んでこなかった(だからお前も察しろよ)と言う。医者は家庭の事情に踏み込めないのかもしれないが、察して止まるわけにいかないのが娘の性というものだ。
また母にいじめられているのかと問うと、そんなことはないと否定する。でも老後のほとんどを家で過ごしていることを考えると主な原因は家にいる人と特定される。父の実母である祖母は齢90を超え、それほどの影響力を持っているようには思えない。残るは1人しかいない。どんなに父が否定しても1人しか考えらえない。
母は難病を抱えている。積年の嫁姑の恨みつらみが事あるごとに、しつこい風邪のようにぶり返すという病気で、一度発作が起きると、父に呪いの呪文を浴びせ続けてとまらない。何かに取り憑かれたように延々と怒りをぶちまけ続け、誰が何を言っても止まることを知らない。その間母の記憶は川を遡上する鮭のように、何年も前、何十年も前の苦悩の時に遡り続ける。記憶の中の苦しみ・怒りを繰り返し上塗りし、言霊の強さは回を重ねるごとに倍に倍に膨れ上がるようだ。発作は数日間続いた後、母自身が疲れ果てるのだろう、糸が切れたようにパタリと終わる。その間父は禅僧のように心を無にし、ひたすらに嵐が過ぎるのを待つだけだ。何をどうやっても根治しない病であることをよく知っている。でも僧ではないから胃が痛くなる。
きっとそんなことが繰り返されているのだろうと思うと、悲しい。父も母も可哀想だ。
父ももう若くはないので、もしもいつか大病になったとしても後悔しないように、行ける時に会いに行って、時間があればもう少し電話でも話すようにしようと心に決めた。そして同じように後悔して欲しくないと思い、これまた離れて暮らしている2人の兄にもそのことを伝えた。
すると大阪に住む次兄曰く、春休み中のこの期間に、大阪まで父が送り迎えをして、次兄の子供たち(父からすると孫たち)を預かってもらうという。そしてその提案は父から上がったものだったという。
もともと子供好きな父だ。完全に自分の気晴らしプランじゃないか。面白いぞおとん!いいぞおとん!心配の塊になりかけていたが、暗い状況に甘んじず、ナイスプランを繰り出している父の明るさに拍手を送りたい気持ちになった。
次兄は、父の提案の背景にそんな事情があったことは知らなかったと言っていた。長兄は前回の帰省時に、私と一緒に母の発作を目の当たりにしているから、母の病気と、それが父に及ぼすであろう影響についてはだいたい同じ認識でいた。「人がいいから」と父に同情的だった。
私の推察はきっと邪推ではないだろう。ならば家から少しでも離れる時間があった方が良いと、私も思う。共働きの次兄夫婦としても、父の提案はありがたかったという。父母が、孫たちという緩衝材を迎え入れ、少しでも気分を変えることができたらみんながHAPPYだ。孫たちの滞在中だけでも、母の発作が起きずに平和な時間を過ごせることを願ってやまない。
根明な父を信じよう。きっと胃潰瘍にも負けない強い人だと信じよう。帰省のプランを考えよう。
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Hanna
「芸人になりたい」について言葉にしてみる
突然ですが、ワタクシ芸人になりたい。(大吉先生のツッコミ待ちの華丸さん状態)
と唐突に発表してみましたが、将来の夢が本当に「芸人」という訳ではありません。
一旦話は飛びますが、普段、言葉(日本語)って難しいな。アレ伝わらなかったな。と思っている方、どのくらいいますでしょうか?私は常に、毎日思っています。毎晩1人反省会です。
そんな日々の中、面白いマトリックスを見つけたのでみなさまに紹介したいと思います。
▼コミュニケーションのタイプ『「言葉にできる」は武器になる。』より。
私はどの辺だろうかというと、まあ「きまじめ」ゾーンの「言葉が下手」方向かな、と思います。身近なあの人はどの辺かな?とか考えるとちょっと面白いです。
そんなことを考えながら私はふとあることをひらめいたのでした。
ー このマトリックスに、3次元目の軸を追加し、上方向に「オモシロ」、下方向に「つまらない」の軸を追加してみたらどうだろうか? ー
そしてオモシロ方向に注目し、例えば芸人さんを当てはめてみると…
▲「デキるオモシロ」
有吉さん マツコさん 司会系の方々(くりぃむ上田さん、オリラジあっちゃん)
▲「チャラオモシロ」
ザキヤマさん、オリラジ藤森さん
▲「マジメオモシロ」
又吉さん、大吉さん、おぎやはぎさん
といったところでしょうか。
こうしてみると、芸人さんというのはすごいなとおもうわけです。漫才なんかを例にしても、つかみでまずは聞く側に、この人たちどんな面白いことを始めるんだろう?と心を向けさせ、フリで簡単にわかりやすく場面提示し、ボケやらツッコミの果てにオチをつけて、人を笑わせる。
面白さを表現するということ。その根底にあるのは、人に伝えるということ。まずは状況を。そして面白さを。それが伝わらなかったら死ぬ、という世界です。
しかもたいていは限られた時間で。
仕事の場面などでは面白さは二の次、かつ最初に結論をというのは定説であるけれども、端的に相手の心を掴み、何を言いたいかを的確にわかりやすく伝えるという意味では、芸人のみなさまのスキルというのは大変参考になるのではないか?と思うわけです。
このマトリックスを見ながらそんなことを考えて、いずれは(チャラくない)芸人のようにになりたい、と思った、というのが冒頭意図したことです。
ちなみに。
できる人・面白い人たちの共通点は、言葉の「解像度」が高めであるということ。解像度が高いほど、伝えたいことがうまく伝わるように思います。この点は改めて別回で掘り下げようと思います。
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日本語でも苦手なプレゼン、英語でならできるのか
よく、バイリンガルや留学経験者が、英語をしゃべると「人格が変わる」とか、「論理的になり、言いたいことを積極的に言える」などといっているのを耳にする。そんな噂も手伝って、英語でなら日本語よりうまく発話できるようになるのかもしれない、という錯覚を抱いてしまった私は愚かだった。
そもそもこのブログのテーマである「言葉にする」ことについて熟考するに至ったきっかけは、2ヶ月間に渡る英会話のコーチングスクールへ通学したことから始まる。
会社で課せられたTOEIC800はクリアしたものの、会話となると全く実践力がない。
そんな課題を感じて、私は夏のボーナスを英会話の「コーチングスクール」というものに投資した。
よくある英会話スクールとは違い、私が選んだコーチングスクールのメソッドは次の通り。
●英会話力を高めるためのエッセンス(主に4種:語彙、構文、シャドウイング、セルフスピーキング)に焦点を当てた大量の宿題をこなす。
●週一のスクーリングでは宿題チェックとアウトプットの目的でテストおよびグループワークをする。
●中間週と最終週に、英語でプレゼンする。プレゼンのトピックは自由。長さは5〜10分程度。
宿題で発話の基礎をインプットし、スクーリングでメンタルブロックを取り除き、「話し方」のスキルや論理展開を学び実践する。十数万円のコース終了時には、はいガラガラポン!ペラペラなあなたの出来上がり!となるかのごとき幻想を抱きがんばってみた。
しかしながら、日本語でも苦手なプレゼンを英語でする。うまくいくわけない。
もともと日本語であってもうまく発話できない。
そもそも日本語でもメンタルブロックがある。
だいたい日本語でも人に届けるべきメッセージを持っていない。
このような状態で、言葉にするツールを、日本語よりも使い勝手を知らない英語に変えたところで、上手くいくわけがない。むしろハードルは上がる。
冒頭の、”使う言語によって人格が変わる説”は確かかもしれない。言語はすなわち文化や習慣を映しているものであるから。ただし人格が変わるレベルというのは、ある程度不自由なくその言語で思考をアウトプットできる、一定以上の人たちの話ではないかと思う。
ただし、上記経験から「言葉にする」ことを熟考したことにより、英語学習は継続するとして、さらに以下3つ、今自分が取り組むべきことが分かった。
①もともとの発話力を高めるべし
②信頼関係があれば人は話を聞いてくれる(から、怖がらずに喋ってみるべし)
③いつもどんな立場で何を考えてるか自覚し、メッセージ化できるようにしておくべし
②は特にこのスクールで「人前で話をする」という経験から学んだ貴重な発見だった。
③は、①のために言語問わず思考のアウトプットの前段階を自分の中に作っておくこと。
というわけで、タイトルに対する私の結論は、否。
そして、私がこのブログを始めた5つの理由 - コトバるページ / VERBAL PAGEにも書いたように、③の実践のために主にこのブログを活用していくつもりでいる。
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Hanna
私がこのブログを始めた5つの理由
いつかこのブログを読みにきてくれることになる誰かと、いつか目的意識を失いかねない自分のために、まずはこのタイトルで1ページ。
そもそもは、普段から「うまく話せないなー」、「今日も伝わらなかったなー」、となんとなく言葉にすることに対してもやもやしていたところに、書店の店頭で、"「言葉にできない」ことは「考えていない」のと同じである"(「言葉にできる」は武器になるより)という一文を読み、衝撃を受けたことに端を発している。
"考えていない"・・・ついにバレたか、と。
日頃から言葉に関しては丁寧でありたいと思っているし、日本語教師の資格保有者でもある身として、「うまく言葉にできない」=「言葉の手前側がなってない」状態では、丁寧もなにも、、、まして、教えるもなにも、、、へそで茶が沸く。
ということで、このままではいけないという想いにかられたのは当然至極。
そこで、日々言語化(思考や感情のアウトプット)に難儀さを感じている自分の修行として以下5つのことを実行するために、このブログを活用させていただきたい。
①自分の内なる言葉の解像度を上げるため、考えたこと、思ったことをできるだけ的確に言葉にしてみる
②考えや思ったことをまとめて伝えられるようになるために、普段から考えや思ったことをストックしておく
③これまでのやり方(感覚でなんとなくいい感じに、という書き方)ではなく、ちゃんと伝えられるように書く
④「書く」の先の「話す」場面にも応用できることを前提に訓練する
⑤最終的には「面白く話す」ことができるようなるまで訓練する
そんなわけで、このブログを活用して色々と「書く」力、およびその先にある「話す」力を鍛えていきたい。
同様の悩みを抱える方に何かヒントになるようなものにしていければなおよいな、という下心も込めつつ。
というわけで、今日は言葉にできたかしらん?
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